陰キャと陽キャという区別が嫌いなので陰と陽について調べてみた

俺は「陰キャラ」「陽キャラ」という言い回しがなんとなく嫌いである。

おそらくこの区分が登場する以前には「リア充」「非リア」という区分が存在した。

「リア充」「非リア」と区分けすることには全く抵抗がないのだけれど、「陰キャ」「陽キャ」と区別するのは何故か嫌な気持ちになる。大抵の場合、蔑みを込めて「陰キャ」と呼称するからだろうか。

そこでこの「陰」と「陽」とは何なのか、調べてみた。

行き着いたのは2つの説である。

  1. イケてるorイケてないを日当たりで例えてみました説
  2. 中国3000年の歴史説
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イケてるorイケてないを日当たりで例えてみました説

「イケてないヤツ」を「陰キャ」、「イケてるヤツ」を「陽キャ」と呼称する説である。これがおそらく多数説であろう。

この説を採るならば、人を「陰キャ」と呼び、蔑むのはすぐに止めたほうがいい。

小学校時代を思い出してほしい。足の早いヤツが陽キャで、遅いヤツが陰キャと呼ばれていただろう。

では中学時代はどうだろうか?
中高生の時分ならちょっとヤンキーぶったヤツが陽キャで、勉強一筋なヤツが陰キャ。
大学になると前髪重めの韓流マッシュに図太いパンツを履いたヤツが、社会人になると高そうなスーツを身に纏い、銀座はコリドーのメキシカンなバーでテキーラを呷っているようなヤツが陽キャとされるだろう。

このようにイケてる度合い、つまり日当たりは刻々と変化していく。時間の経過だけではなく、土地やコミュニティによってもイケてる度合いは変わってくる。

今、キミが蔑みを込めて「陰キャ」と呼んでいる人たちは次の時代、または違う場所の「陽キャ」かもしれない。その時、自らが蔑んで呼称していた「陰キャ」になっているのは自分かもしれないのである。

自分の首を絞めるようなマネはやめておいたほうがいいね。

中国3000年の歴史説

次に「陰」と「陽」の源泉に迫る「「「中国3000年の歴史説」」」だ。

こちらはおそらく少数説。「陰」と「陽」、この2つの相対する要素とはそもそも何なのか。

Google先生曰く、以下のようなことらしい。

陰陽とは、中国の思想に端を発し、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つのカテゴリに分類する思想。陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる。

何気なく調べたら先がヤバそうな気がしてきた。

おそらく全ての事物をペンパイナッポーアッポーペンだとすると、陰(ペンパイナッポー)と陽(アッポーペン)がン゛ッーしたり、またはしなかったり、はたまたン゛ッーしかけたりで世界が成り立っている的なことだろう。

「おぎやはぎ」が小木と矢作でできていたり、「まえだまえだ」が前田(兄)と前田(弟)で構成されているようなものである。

この「陰」と「陽」の2つの要素、配分は違うなれど、全てのモノ(我々人間も含む)やコトはこの2要素で成り立っているらしい。

なるほど、とすれば陰の要素が占める割合が多い人間を「陰キャ」、陽の要素が占める割合が人間を「陽キャ」と呼称することには納得がいく。

「陰キャラ」「陽キャラ」の用法について

しかし、誰しもが「陰」と「陽」を併せ持っているというこの説を採っても、日常生活やネット上でよく目にする「陰キャ」を卑下した用法は看過できない。

「陰」を蔑む者もまた「陰」の要素を持ち合わせているのである。

聖書にいう「あなたたちの中で罪を犯したことのない者がこの女に、まず石を投げなさい 」というやつである。

陰の要素を持たない者など誰もいない。他人を「陰」であるから、という理由をもって蔑む資格は誰にも無いのである。

やはり蔑みを込めた「陰キャラ」という言い回しにはいつまで経っても適応できない気がしてきた。

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