こんばんは、源(@kinogen0018)です。
2021年7月23日午後8時、新国立競技場で東京オリンピック開会式が開催された。
そこから遡ることちょうど24時間。場所は同じく新国立競技場で「俺たちのオリンピック」が開幕しようとしていた。
何を言っているかわからねえと思うがありのままを話すぜ。
とにかく2021年7月22日午後20時を過ぎた頃、俺たちは新国立競技場を目指して新国立競技場を出発したのである。
東京五輪を最高に楽しむ方法を考えた
オリンピックの楽しみ方は人それぞれだ。
(今回は無観客での開催だったが)現地で応援するもよし、(今回は自粛ムードだったが)スポーツバーに行きみんなで盛り上がるもよし。
コロナ禍での開催となった今大会では、自宅のテレビでビール片手にリラックスしながら観戦するのが王道だったろう。
しかしせっかくの東京で開催されるオリンピックである、俺たちは俺たちの楽しみ方で楽しむべきだ。
山手線を内回りでも外回りでも歩いて一周した俺たちが「東京オリンピックのマラソンコースを歩く」という楽しみ方に行き着くのは時間の問題だった。
幻のマラソン「東京コース」とは?
東京オリンピックのマラソン競技は当初、東京で実施する予定だったものの「東京はクソ暑いのでマラソンに適していない」という理由から北海道は札幌での開催となってしまった。
つまり、東京オリンピックの本来のマラソンコースは一度も競技に使用されない幻のマラソンコースになってしまったのである。
ちなみに幻となったマラソンの東京コースはオリンピックスタジアム(新国立競技場)をスタートし、東京の観光名所を回るステキなコースである。もはや俺たちが歩くために作られたコースといっても過言ではない。
こんなにステキなコースだったのに世界レベルの選手が走ることも、世界中に放送されることもなくなってしまった。
これは我々が歩いて供養せねばならない。
そう思い、友人を誘ってみたら誰も反対しなかった。我ながら良い友人を持ったものだ。
幻のマラソン「東京コース」を歩いてみた
スタート〜10km地点
そして時は2021年7月22日。新国立競技場・通称オリンピックスタジアムに俺たちは立っていた。
オリンピックスタジアムすぐ近くのミニストップでレッドブルを飲んで気合を入れる。世界最短の給水ポイント、それがミニストップ 新宿大京町店である。
ちなみに深夜の眠気が襲ってくるタイミングとレッドブルの効果が切れるタイミングがカブって日本橋から浅草へ歩く途中に死にそうになったのは後の話である。追いモンスターしました。
オリンピックスタジアムから四谷四丁目の交差点を直進し、富久クロスコンフォートタワーなる少しエッチなマンション(我々は「エチマン」と呼称している。以後暇つぶしに40キロの道のりを「エチマン」を探しながら歩いた)を右折し、都営新宿線沿いを防衛省や市ヶ谷駅前を通って飯田橋方面へ。
一杯アルコールを入れたい気持ちを抑えて神楽坂下交差点を通過する。
JR飯田橋駅前の歩道橋を登り、東京ドームに向かう。
久しぶりの東京ドームは大きかった。人はまばらだ。
そういえば俺が社会人になって初めて年休を取得したのは部長と野球観戦に行くためだった。ちなみに俺はクソほど野球に興味がない。
これが社会人というものか、と社会人1年目の俺は絶望したものである。
そんな思い出の地・東京ドームにも長居はできない。
神保町交差点からは都営新宿線沿いに歩き小川町・淡路町経由で日本橋へ。
驚愕の事実だがまだ10km地点なのである。10km地点であるにも関わらず、日付が変わろうとしていた。
季節は夏だ、日が昇れば気温が上がる。
気温が上がれば体力が急激に削られる。
この試みが時間との戦いであることに俺たちはまだ気づいていなかった。
10km地点〜20km地点
日本橋を抜けるとオフィス街の茅場町から東日本橋・浅草橋を経由して浅草寺へ向かう。
せっかく日本橋を抜けて茅場町にたどり着いたのに、今度は”東”日本橋に行かないといけないのである。前進している感が全くしない、絶望。地名ぐらい大きく変わってくれ。
しかも日本橋から浅草へは全く同じ道を往復することになる。往路の時点で絶望。
ただ絶望の中たどり着いた深夜の浅草寺はこれ以上ないぐらい綺麗だった。
早めの時間で仲見世通りが閉まってしまうので浅草観光はお昼〜夕方の時間帯に行くのが一般的だが、機会があれば深夜の浅草寺も訪れてほしい。人がいないので雷門から仲見世通り〜本殿が見通せてなかなかに良い。
深夜の浅草寺と浅草寺から見えるスカイツリーを肴に缶の緑茶ハイを呷る。
日本橋への復路を前に長めの休憩。もはやアルコールを入れないと脚の重さを忘れられない。
恐ろしいことに浅草寺は15km地点である。まだ半分も歩いていない。
浅草寺を出てほろ酔いでスカイツリーを横目に日本橋への復路を歩く。
歩いて初めて知ったが、浅草橋と浅草は意外と距離がある。
新たな発見はそれぐらいである。復路だからな。
やはり景色が同じなのはメンタルが削られる。
浅草の往復をしていた頃は午前2時。もはや歩道を歩いているのは俺たちだけだ。日本橋に戻る途中で「本日 東京2020大会 開会式」の電光掲示板を発見した、レアなので載せておきます。
20km地点〜30km地点
もと来た道をたどって2度目のコレド日本橋へ。日本橋という街に何の感情もなかったけれど、嫌いになりそうだ。ここで20km地点。
ここからは銀座と新橋を経由して東京タワーのふもと、増上寺へ向かう。そして同じルートで日本橋へ戻る。
戻るのは嫌いだ、本当に何のために歩いているかわからなくなる。
深夜の銀座は綺麗だ。当たり前だが歩いている人は俺たちの他いない。元気に走っているのはトラックだけ。
銀座から新橋への道はひたすらに焦っていた記憶しかない。もう少しで日が昇る。
疲労困憊の身体に鞭を打ち、早足で東京タワーを目指す。疲れすぎてこのあたりは一枚も写真を撮っていない。
と思ったが一枚だけ撮っていた。
徒歩という移動手段に限界を感じていた俺たちに「スイスから来たプレミアムキックボード」という響きは魅力的すぎた。店が開いていたら小学生ぶりにキックボードに乗るところだった。
車輪を発明したメソポタミア文明は本当にすごい。
キックボードに後ろ髪を引かれながらもなんとか東京タワーへ。
このあたりでは眠気の限界が来てまともな写真が撮れていない。
ただビルに映った東京タワーはなかなかにオツだったので最後の力を振り絞ってシャッターを切っておきました。
公園のベンチで一息ついたら新橋・銀座を経由して日本橋へ戻る。
このあたりでは深夜テンションを超えてもはや早朝テンションの域に達していたので音楽を聞き飛び跳ねながら歩を進めていた。後悔が襲ってきたのはすぐ後のことである。
一時のはしゃぎっぷりの後悔に襲われているころ、夜が明けようとしていた。
普段オール明けの始発を待つときは文字通り希望の光だが、今回ばかりは絶望の光である。
銀座で朝日を迎えた我々は日本橋へ。ここで25km超の旅を共にしたメンバーの一人が無念のリタイア。
一人欠けた状態でオリンピックスタジアムを目指すことに。
神保町方面に戻る途中、三度目のコレド日本橋。
これまでの人生で建物に好き嫌いを覚えることはなかったが、初めて嫌いな建物ができた。二度と見たくない。
30km地点〜ゴール
神保町方面に戻る途中で30km地点を通過。あと10kmちょいだ。
この時間帯になってくると朝日が容赦なく俺たちの体力を奪っていく。
ここからはラストスパート。まずは皇居沿いを往復する。
高層ビルと皇居のお堀を一度に楽しめるステキ景観だがこの段階で景色を楽しむ体力が残っている者はいない。
お堀は汚かった。近くのベンチに座り汗ふきシートでリフレッシュ。
汗ふきシートは絶対に持っていこう。夏のフルマラソンコース踏破はガチでTシャツに塩が吹くレベルに過酷だ。
皇居から戻ると東京ドームへ。もうドームの近くまで行って写真を撮る気力はないので遠景でお届けします。
大変お下品で申し訳ないが歩道の花壇をベンチ代わりに休憩。こうしている間にもどんどん気温が上がってくる。
後楽園を通過すると最後の難関・飯田橋の歩道橋が待っている。35km超を歩いた人間でないとこの絶望感は味わえない。
歩道橋の上からの眺め。高さはないけど悪くない景色だったので午前6時48分の神楽坂と共に写真を載せておきます。我々の願いも虚しく晴天。雲が恋しい。
神楽坂を通り過ぎると10時間以上前に歩いた道をひたすらオリンピックスタジアムまで戻るだけだ。
日が当たらないコース選びが生死を分けるので、日陰の道が見えたときは本当に嬉しい。
小さなことでも喜べる、そんな人間に私はなりたい。
防衛省や曙橋駅前を通過して、まだ元気な頃に「あのマンション、エチエチじゃん」とはしゃいでいた交差点を這いつくばるようにして左折。
あとは新国立競技場まで一直線である。脳内再生だけにとどめきれず、スマホのスピーカーで「サライ」を流しながら歩く。終盤は「サライ」と「栄光の架橋」しか頭に流れていなかった。
そして開始から11時間26分、57,980歩をかけて、新国立競技場から新国立競技場までの旅は幕を閉じた。
正直、山手線を歩いて一周したときよりも格段にキツかった。
山手線はチェックポイントとなる駅が比較的狭い感覚で配置されているが、今回のコースではそれがない。
さらに今回のコースは今まで歩いてきた道を戻る往復区間が多く存在する。
「自分は何のために歩いているのか?」が本当にわからなくなるので山手線を歩いて一周する以上に強い覚悟を持って望んでもらいたい。(本来歩く必要はないのだが)
それに加えて夏の日差しが体力を急激に奪っていく。日陰でこまめに休憩しないと確実にぶっ倒れる。朝日もナメてはいけない。
ただ難易度の高いチャレンジだっただけに、達成感は凄まじいものがある。俺が東京Walkerだ。
この日帰宅後即浴びた熱いシャワーの気持ちよさを俺は一生忘れないだろう。
俺が死ぬ間際、走馬灯でこのときのシャワーがチラついても不思議ではない。
ちなみにシャワー後は爆睡し、開会式が始まる時間になってもベッドから動けませんでした。
まとめ
最高のオリンピックにできた。この一言に尽きる。