コロナに敗れた職住近接至上主義と自宅は仕事のための場所じゃない論

こんばんは、源(@kinogen0018)です。

自宅での晩酌を禁じていた俺がボトルを空けて酔っぱらい、何を血迷ってかムーンウォークの練習に励んでいた夜。

それから一夜明け、睡眠の質の低下を感じながらも午前4時からこの記事を書いている。

こんな羽目になったのは在宅勤務から来るストレスが原因に違いない。

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かつて職住近接は最強だった

社会人1年目、俺は郊外にある社宅から都心のクソ狭くてクソ高いワンルームに引っ越した。

1時間以上かかっていた通勤時間はドアtoドアで20分、しかも自宅から繁華街まで5分である。

職住近接で通勤のストレスは消える

家が近いと残業を終えたあとに「ここから帰るのに○時間かかるよ…」みたいなこともなく、残業もそこまで苦ではない。

朝も1時間ぐらい長く寝ていられる。ロングスリーパーの俺にはありがたいことだ。

一瞬しか電車に乗らないので、飲み会の帰り道に終電で寝過ごし、終点から歩いて帰るようなことも起きない。

都心の職住近接はプライベートも充実させやすい

そもそも旧居の最寄り駅に俺の心の友である日高屋と松屋が存在していなかった時点で俺が引っ越すことは決まっていたようなものだ。都心には日高屋や松屋はもちろん、飲食店のバリエーションが多彩である。

また飲み会が行われるような、いわゆる”東京らしい”街に出るには1時間近くかかっていた頃と比べ、繁華街まで5分ぐらいなので移動時間がほぼ無い。なぜ昔の俺はたった2時間の飲み会のために家から都心まで往復2時間かけて移動できていたのだろうか。

夜に遊びに出かけ、朝方帰ってくる時も都心に住んでいると革命的に楽である。

もう午前5時半に六本木駅の地中深くまで潜り、ボロボロの有象無象に囲まれながら家までの果てしない道を進む必要はないのである。

なんと革命的なのだろうか。

都内で職住近接は最強だ。

いや最強だった。

COVID-19は職住近接至上主義者を殺す

そんな矢先に俺を襲ったのが新型コロナウイルスだ。

コロナが私にくれたもの、ニンニクまみれのテレワーク

大好きだったニンニクをたらふく食べられるけれど、職住近接を実践していた俺にはそれ以上のデメリットが生じた。

そう、コロナによる自粛が職住近接のメリットを完全に無意味にしてしまったのである。

在宅勤務になると、そもそも通勤が発生しないので家がいくらオフィスに近くても意味はない。もちろん飲み会が行われることもないので家が繁華街に近くても全く意味はない。

ナイトライフなんて一番悲惨だ。あれだけ盛り上がっていたバーやクラブは死に瀕している。

なんということだ。俺に残されたのは心の友である日高屋と松屋だけである。

都心で職住近接な暮らしを送ってきた人にとって、メリットばかりであった時代は過ぎ去り、単に「高くて狭いワンルームに住まないといけない」という職住近接のデメリットだけと向き合い続ける冬の時代がやってきた。

COVID-19は在宅勤務を強制し、在宅勤務は俺を殺す

家はくつろいだり寝るための場所であり、オフィスは働く場所である。

間違いない、そうだろ?

家で働くなんてナンセンスだ。なんといっても目的外利用である。初めてのデートでサイゼリヤを利用したり、高級レストランで山手線ゲームに興じるぐらいの愚行だ。

しかしCOVID-19、新型コロナウイルスは日本だけでなく世界中の人間から外を出歩く権利を奪った。通勤も例外でなく、俺が勤める企業では全社に在宅勤務が命じられている。

そこで困るのが俺である。家で作業はおろか、仕事するなんて想定していない俺が困るのである。

作業する時はカフェにでも行けばいいじゃない、という持論は未知のウイルスによって木っ端微塵に吹き飛ばされた。カフェは開いていないし、そもそもセキュリティの問題で自宅以外でのテレワークは禁止である。

そんなわけで作業用のデスクも椅子もない我が家で働くことになった。

地べたに座るか、ベッドの上で長時間パソコンを叩き続けるわけである。
劣悪な労働環境だ。ストレスは溜まるし、腰がイカれるのも時間の問題であろう。

果たしてコロナと俺、どちらが先に音を上げるのだろか。

今後もコロナと俺から目が離せない。

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